以前パッチワークにはまっていた頃、母に
「あなたが、
針と糸を持つようになるとは思わなかった」 と言われました
私の親族に
三婆 と呼ばれる傍若無人の方達がいます
実を申しますと、
私の母とその二人の妹さん達なのですが
この方々とレストランにでも行こうものなら大変です
やれ、中華が食べたいだの、やっぱり蕎麦がいいだの
窓際の席に座りたいだの、やっぱりトイレに近い所がいいだの
肘掛け椅子がいいだの、やっぱり肘掛けは邪魔だの
「あれ、ハンカチがない! あんた達、知らない? 私のハンカチ」(心の声 : そういえばエレベーターに誰かのハンカチ落ちてたっけ)
「眼鏡はどこ行った?」 (知らないよ。 せめて財布はなくさないでよ)
見ていると、3婆のうち
2.5婆までは私の母一人で占めているようです
喜寿を迎えた母は、おかげ様で大過無く元気に過ごしておりますが
時々不整脈があると、リーゼ5mgというお薬をのみます
これは本格的な不整脈薬ではなく、精神安定剤と呼ばれるもので
自律神経調節作用もあり、軽い不整脈に使われることもあります
この母が、私の薬は妹のより10倍も強いと騒いでいるので
よくよく聞いてみた所、叔母はデパス0.5mgというのをのんでいるそうで
母の考えでは、
5mgと0.5mgでは10倍違うということらしいのです
誰かこの人に説明してやって! と思いましたが、私がその役回りか
娘だし、薬剤師だし、と考え直し、一応説明しておきました
「お母さん、そもそも、リーゼとデパスは違うお薬だからね・・・」分かってくれたかなぁ?
母は
旅行用に携帯するお薬を見せてくれました。その中には、リーゼの他に
心臓の発作薬、胃薬、整腸剤、痛み止め、吐気止め、目薬、等
旅行先が自然災害等で孤立しても、しばらくは何とかなりそうな一式です
中でも
下痢止めが秀逸でした
見るからにタンナルビン色した薄茶色の粉薬が、何種類もあり
「風邪で吐気の後で下痢した時」 「冷えて下痢した時」 「食あたり」等
下痢した時の状況説明と覚しきことが事細かに書いてあり
同じような状況の下痢になった時に服用するんだと言っていました
薬局で日常的に調剤される、タンナルビン・ラックビー・アドソルビンという
組み合わせのお薬ですので
「おかあさん、これは全部同じお薬よ」と言おうとして、ふと付いていた薬剤情報文書を見ると、それぞれ
タンナルビン・ラックビー・アドソルビンの配合割合が
ビミョーに違うのです
う~ん、これは、全く同じお薬とは言い切れないかも知れない、と悩み
誰かこの人に説明してやって! と思いましたが、私こそがその役回りか
とも思われ、郷里の母の通っている薬局の方々のご苦労がしのばれました
叔母が
「お姉ちゃん、そんな古いお薬のんで大丈夫なの?」 と聞くと
「そんなに古くないよ。 一年以内に貰ったお薬ばかりだもの。
私の友達なんて、今までに貰ったけどのみ残したお薬を全部とっておいて
非常持ち出しようのリュックに詰めて、イザって時はそれで何とかなるって
いってるけど、何年も前に貰ったお薬なんてもう使用期限切れているよね」(それはわかってるんだ。 えらいえらい)
「私も真似しようとしたら、主治医の先生が、一年過ぎたお薬はもう
使わないでくれって言ってた」 (なんだ、先生に注意されたのか)
これが薬剤師の母親の実態です
さすがに
2.5婆だけあって、娘の言うことなんて聞きいれません
別れ際
「今日は夜行で帰るの?」 と聞くと
「夜行は嫌いだから途中
妹の家に一泊する。 若い頃、悲恋で泣きながら夜行に乗って帰った
悲しい思い出があるから、夜行には乗りたくない」 と言います
よもや、この歳になって、
母の昔のロマンスを聞かされるとは!
必死でかすかな記憶をたぐりよせ、実家の古いアルバムで見た
若かりし母の白黒写真を思い起こしてみると、確かに、当時は
ウエストもキュッと細く可憐ではかなげな姿だったような気もします
とても、食べ残しのシュウマイ持って帰るので包んでくださいと
レストランで堂々と頼める現在の
2.5婆と同一人物だとは思えません
私も年取るとこの母のようになるのかな?
なるつもりはないけど、
このDNAはかなり手強そうです
でもね、おかあさん、今その人と再会出来たとしても、会話の内容が
昔とは違ってきてるかもね
「私は不整脈で、リーゼのんでいますのよ」「いやぁ、僕なんて、高血圧でアムロジンのんでいますよ」てな具合にね、と心の中で思いつつ、母と別れたのでした
パッチワークで人物画もつくってみました
揚げたてコロッケはやっぱり美味しいものです
野菜を食べてもらおうと、ニンジン、ピーマン、シメジ、タマネギ
とひき肉をブイヨンで味付けしたものを入れています